じつに多くの論争を引き起こした ―― 正当な根拠のないものがしばしば見受けられましたが ―― もうひとつの有名な修復が、ローマのシスティナ礼拝堂の修復です。 ヴァチカン美術館研究所所長のナッザレーノ・ガブリエッリは、その精密かつ実証的な研究において、このフレスコ画が、油を使ったランプの油煙の膜と、さまざまな時代に何度も塗り重ねられてきた厚い膠の層に覆われていることを証明してみせました。そして、そうした膠は温度の変化によって収縮するために、絵画の層が剥離してしまう恐れがあったのです。 つまり、修復はただ単に必要というだけでなく、急を要するものであることが示されたのです。
  修復は、3つの段階に分けて行われることになりました。すなわち、ルネッタ(半円形の明かり取り)と歴代教皇画、つづいて天空、最後に<最後の審判>という順序です。 分析の結果、天空の黄土色(オーカー色)は、絵の具によるものではなく、動物性の膠によるものでした。膠が湿気や微生物と結合することによって黒いパティナ(こけ)が生じ、それが徐々にフレスコ画をくすんだ色に変えてしまっていたのです。ミケランジェロがこうした膠を使ったはずはありませんでした。なぜなら、この膠は埃や黒い煤の上に塗布されており、したがってミケランジェロよりもあとの時代に塗布されたものであることが特殊な分析によって実証されているからです。 礼拝堂の設立当初からすでに、天井とルネッタは、水漏れを起こしていました。そのために、絵画の全面に均一に広がった白い塩の層(硫酸カルシウム)による絵画の白化現象が起きていました。こうした膜は濡れると透明となるため、かつては、修復家たちが、膠を塗布して永久に濡れたような外見を作り出すことによって、硫酸カルシウムの作用をしりぞけることができるだろうと考えた可能性があります。さらに、膠の滴は、『最後の審判』の壁面にも見られ、したがって、膠が後世において用いられたものであることが明らかとなりました。
  1541年に『最後の審判』が描かれたフレスコ画の修復は、何世紀ものあいだ忘却されていた色彩を白日のもとによみがえらせました。 このフレスコ画もまた、何世紀ものあいだ、黒い煤や、微生物にとって恰好の繁殖の場となる動物性の膠も含めた、さまざまな物質に覆われていました。また、膠のほかにも、上塗りによって不均一に吸収されてしまっていた色彩をふたたびよみがえらせるために、植物性の油も塗布されました。いずれにしても、『最後の審判』の修復家たちは、最終的にできるかぎりバランスのとれた修復効果を得るために、不均一な保存層に対してきわめて慎重な姿勢で臨まなければなりませんでした。そして、このケースにおいても、より重要視されたのは、受けた被害よりも、被害者自体のほうでした。 いったん現在の洗浄が終わると、次に立ちふさがったのは<下履き>の問題でした。これもまた、長い議論を巻き起こした問題です。 ヴァチカンの資料によれば、この絵には3度にわたって裸体に下履きが描き足されました。そのうち2度は、1564年のトレント公会議以後に行われました。 ミケランジェロの作品の上に最初に描き足しをした人物は、彼の友人のダニエーレ・ダ・ヴォルテッラでした。彼は聖ブラシウスの全身と、聖カテリーナの体の一部を塗り直しました。どちらの人物も、したがって、フレスコ画で描き直されたので、元々の上塗りは除去されました。第二の描き足しは、16世紀末にカルネヴァーリの手によって行われました。そして、三度目の描き足しは19世紀に入ってから行われましたが、このときも多くの批判が寄せられました。
  赤外線撮影による分析の結果、用いられた絵画技法の違いによって、これらの3つの描き足しの時代を区別することが可能となりました。 当然ながら、ミケランジェロが描いたものではない部分をすべてを取り去ることを望む人々と、描き足された部分もすべて歴史的事実の資料としてそのまま残しておくことを望む人々とのあいだには、論争が巻き起こりました。 そして、妥協がはかられました。すなわち、描き足された部分がはっきり区別がつくために、作品をそこなったという理由から18世紀に描き足された部分は取り去られたのに対して、16世紀のそれは、トレント公会議の結果の歴史的資料としての残されることになったのです。
  システィーナ礼拝堂の場合には、芸術作品と切り離された抽象的な手法は採らないことが決められました。ここでも、美術史家、歴史家、化学者、生物学者、物理学者、そして修復家たちが協力して研究を行いながら、作品自体が、合理的な方法論をみちびいていったのです。こうした作業は単純な作業ではありませんが、ともかく、あらゆる批判に対して開かれたものとなっています。 テクノロジーの進歩や倫理的観点からの選択法とともに、将来は、修復に関する諸問題の解決に役立つような、より幅広い対応策が見出されてゆくことでしょう。 修復という分野はこのように広大なものですので、とりあえずは絵画のみにかぎりましたが、以上でわたしの発表を終わります。
  修復の方法論をめぐる概観の旅におつきあいいただき、まことにありがとうございした。  また一方で、修復教育の判断基準として確立しなければならないとわたしが考える基盤は、まちがいなく、倫理です。そして、倫理こそは、修復技術の正しい適用ととともに、われわれの学校の礎(いしずえ)となるものです。    

ご静聴ありがとうございました。


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