パラッツオ・スピネッリの学生によるヴェッキオ宮殿チンクエチェント広間(フィレンツェ)での修復の様子
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学院沿革 1966年11月のフィレンツェ大洪水は、<文化財の悲劇>として世界中に知られている出来事です。しかし、皮肉なことにこの惨劇によってフィレンツェは、世界でも比類のない一つの大修復工房へと変貌したのです。世界の名だたる美術館から派遣された最高の修復技術者たちが、フィレンツェの専門家や美術史家とともに、質、規模いずれをとってもかつてないレベルのチームを作りあげました。そして、そこでは、最新の修復に関する手法と基本的テクノロジーが駆使されるようになりました。このテクノロジー革命は、
いまも尚、フィレンツェの修復施設や70年代に生まれた修復学校のなかに蓄えられ、生き続けています。このときに得た大きな知識の資産のおかげで、フィレンツェはまさに<修復の都>という呼称にふさわしい町となったのです。
ランビエンテ修復芸術学院の母体ランビエンテ美術研究所は、1995年にイタリア国立美術アカデミー・フィレンツェ校(Accademia di
Belle Arti di Firenze)卒のアーティストたちを中心としたチームによって発足しました。 翌96年には、パラッツオ・スピネッリ芸術修復学院認可校となり、1999年から、新たに正式な東京校<ランビエンテ修復芸術学院>として出発、絵画修復科が開講しました。2001年4月からは、書籍・素描・版画修復科がスタートします。 |
認可 会員 デュプロマ
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Europian Commission
Directorte General XIII/E Luxembourg |
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ELIA Europiean League of
Institutes of the Arts - Amsterdam AIC
The American Institute for the Conservation of Historic and Artistic Works-WashingtonD.C.
ICCROM
Roma -イクロム(国際文化財保存修復センター)会員 ローマ 社団法人 日本ユネスコ協会連盟 |
学院理事
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■パラッツオ・スピネッリ芸術修復学院(フィレンツェ本校) 創立1977年 ■ランビエンテ修復芸術学院(東京校) 創立1994年 学院長:船山 千尋 Funayama Chihiro
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