Kermes No.36 1999 sep-dec
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ファルネーゼ宮の謎
Sorprese a Palazzo Farnese
ファルネーゼ宮 |
アントニオ・ダ・サンガッロとミケランジェロという大物の名前が、解決必至の謎として、前触れもなく浮上した.........。 大聖年(2000年)の前年のファルネーゼ宮のファサードの修復は、意味深く、驚くべき成果が得られた修復作業のなかでも、多くの未解決の問題を持つ結果となったのである。当初の予定では、大掛かりではあるが、通常のクリーニングと保存管理の作業が考えられていた。しかし、終了とともに、そこには、多くの謎が明らかにされたのである。 | |
M.Necci |
多くの疑問は、下層部分から生じていった。1階部分は、明らかに未完成である。近代施された赤ポゾラン層を取り除くと、外界との絶縁層がないことがわかった。代わりに黒ポゾラン、石灰、細かく砕かれたレンガから成る薄い壁が発見されたのである。これほどまでに大きな宮殿に石材、大理石のストゥッコ、あるいは、トラベーチンによる保護層が施されてないとは......。
2階部分では、さらに興味深い発見があった。修復以前は、うっすらと見える程度であったが、修復後にレンガの色彩のバリエーションで形づくられる形態が、到底、壁職人の偶発的なイニシアチブだけで創られたとは想像しがたい充実し確固たるものであることが判明した。況してや、これは、すべてを解読されねばならないイコノグラフィーが映し出されているかのようだ。 |
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基底になるベース部分は、黄ベージュ、ピンク、様々なトーンの赤が相当な注意を払われ、正確に配置されており、同時代の建築ではこれに似通ったものはない。俄に沸き起こる仮説として、フェスタ(祭り)の際、いつも壁に吊るされていた壁掛けをそのまま壁に刻み込んだというふうにも考えられる。 2階部分のデコレーションは、シンメトリーからも解放され、さらに洗練された複雑な形態で、おおよそ基準となるモデルが存在せず、敢然として独立したものと言わざろう得ない。言う迄もなく、色彩が充分に現れなかった部分の修復は為されないことになった。なぜなら、いかなる充填補彩技術も独創性を破壊すると考えられたからである。 当然、厳格な文献学からは、この装飾の意味を解明することは容易ではないし、その道を発見することも困難である。忍耐強い研究と問題を解決してくれる研究者が待ち望まれている。 |
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