さて、今度は、絵画の修復における洗浄という、このきわめて複雑な問題についてもっと掘り下げてみたいと思います。時間は絵画に対して影響をおよぼし、色彩のあいだのつながりをより密接なものとするのです。 1767年にドニ・ディドロ(Denis Diderot)が、ジャン・バティスト・シャルダン(Jean Batiste Chardin)の絵画を批評する人々に対して述べた次のような言葉が参考になります。「ひとたび時間が色彩のあざやかさを薄れさせたならば、シャルダンが以前はもっと上手に描いていたと信じる人々は、意見を変えることになるだろう」
 色彩のあざやかさを薄れさせるという、時間の経過がもたらす効果を説明するために、1681年にフィリッポ・バルディヌッチが作り出した<パティナ(古色、こけ)>という言葉が用いられています。こうした問題に関して注意すべき点は、一方で、時間が絵画にプラスの効果を与えるというのが事実だとしても、それが後世において評価しうるのは、保存状態が最高に保たれた場合のみであるということです。
  しかし、多くの場合、透明なニスの薄膜を加えることによって絵画はより良い状態に保たれており、そうした薄膜は、硬化するにつれて、埃や汚れを引き寄せるため、時間とともにくすんできて、絵画を平板なものに変えてしまうのです。洗浄の目的は、したがって、過去に加えられたマイナスの要素を除去して、オリジナルの要素を保持することにあります。 こうした作業は、現在では化学的・物理的分析が可能となったために、これまでよりもはるかに容易なものとなっています。こうした分析を正確に解析したとき、修復家は、本来のパティナ(古色)を救いだし、往々にして過去の修復によって付け加えられてしまったものを取り除くことができるのです。
  次にご紹介する例においては、慎重な洗浄というものが、本来の絵の色彩がもっていた色調をよみがえらせるばかりでなく、いかに絵画の理解を深めるのに寄与し、その作品の歴史的意義についてさまざまな解釈を可能にしてくれるかということがよくわかります。


 これはドゥッチョの『荘厳の聖母(マエスタ)』の修復例です。美術史家たちは、これまではつねに、この絵が、奥行きと量感に重きを置いたジョットに代表されるフィレンツェ派と対照的に、平面的で装飾的な画面構成を好むシエナ派の完璧な実例であると考えてきました。  このドゥッチョの傑作においては、聖母のマントは、金色の縁の部分がかすかに曲線を描いているほかは、平面的に描かれています。 しかし、この絵を洗浄してみると、ドゥッチョが、色彩をぼかすことによって立体的な襞を表現していたことが明らかになったのです。  


台座に描かれていたのは、これまではアルピエ(ハルピュイア)と考えられていましたが...
修復後の『アルピエの聖母』
 
 

 もうひとつの例は、アンドレア・デル・サルトの『アルピエの聖母』ですが、この作品については、ジョルジョ・ヴァザーリが、はっきりとしない、スフマトゥーラ(ぼかしの技法)による絵画的な特殊効果とみなされる「透明な煙の雲」をもっていると述べています。
  修復前にはこの絵画は、17世紀から18世紀にかけて塗られた動物性の膠の層のために、黒ずみ、黄ばんでおり、その上にはさまざまなニスの層が塗り重ねられていました。洗浄を行ってみると、上部にはほんとうの煙の雲が現れました。この発見は、この絵画が『ヨハネの黙示録』の記述と合致することを示す新たな解釈を許すものでした。実際、この絵のなかの台座に描かれていたのは、これまではアルピエ(ハルピュイア)と考えられていましたが、聖書の記述と合致する蝗(いなご)であることがわかりました。「大いなる爐(ろ)の煙のごとき煙、坑(あな)より立のぼり‥‥煙の中(うち)より蝗(いなご)地上に出でて‥‥」(ヨハネの黙示録第9章2〜3節)
いずれにしても、たとえ最も適切な診断技術を駆使しても、洗浄前に存在していたあらゆる疑念をつねに解消することはできません。

 

イメージ提供:
Nardini - Firenze
Centro Di - Firenze

   
洗浄中の『アルピエの聖母』上部にはほんとうの煙の雲が..

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