絵画の修復とは、芸術作品の管理に関わるあらゆる問題を解決することのできる確固とした科学であると、多くの人々は考えています。しかし、修復家が、描き直しによる欠落箇所の補修と洗浄という、二つの問題に直面するたびに、そうした信念は議論のまととされてきました。過去には、修復家たちは、当時の理論にしたがい、画家の技法や様式を真似することによって欠落した箇所を補修してきました。こうした、いわゆる<模倣的>作業は、作品を完全なものにするために用いられてきたのです。今日でもなお、小さな欠落に関してはこうした方法がとられていますが、その際には、オリジナルの絵画とあとから描き加えられた箇所がはっきりと区別がつくような特殊な技術が用いられています。

  こうした修復作業の歴史を明らかにするような有名な例について見てみましょう。
  1840年、さまざまな研究の末に、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂のペルッツィ礼拝堂とバルディ礼拝堂において、ジョットのフレスコ画が発見されました。 これらのフレスコ画は、その後、有名な画家で修復家でもあったアントニオ・マリーニとガエターノ・ビアンキの手によって修復されました。かれらは、ジョットが描いたであろうとかれらが判断する範囲内で欠落した箇所を補修するだけにとどまらず、オリジナルの絵画の上にも、新たな描写と本来の描写をつなげるような形で絵筆を加えてしまいました。明らかに、マリーニとビアンキには、歴史に対する謙虚な姿勢が欠けていましたが、いうまでもなくかれらは、これほど重要な作品が大幅な欠落を残したままで良いはずがないという信念に忠実に行動したのです。   

 フレスコ画には、ジョットのような中世の画家の絵画技法や様式が再現できるという無邪気な、そして無益な希望のもとに、広い範囲にわたって人物像が描きこまれました。何年にもおよぶ議論のはてに、1950年末、レオネット・ティントーリは、アントニオ・プロカッチの指導のもとに、描き足された箇所をすべて除去しました。そして、それによって、塗り重ねを取り除いた形で、ジョットのすばらしい絵画を鑑賞することが可能になったのです。 このことは、偉大な芸術家ジョットがどのように作品を描いていたかについて、多くの問題を明らかにしました。しかし、興味深いのは、今世紀の修復哲学と当時の修復哲学のあいだにはとてつもなく大きなへだたりがあったということです。実際、欠落した箇所は、描き直されることはなく、たとえオリジナルの絵画とのあいだに明確なコントラストがついてしまったとしても、あえてニュートラルな形のままで残されたのです。

 実際、たとえ<ニュートラルな>画面であっても、作品の一体性とのコントラストがついてしまうことが非常に多いのですが、これは、原画にそれが<侵入>してきて、鑑賞のさまたげとなるためです。  
 こうした問題を解決するために生まれたのが、いわゆる<リガティーノ(縞目)>という新しい統合の技法です。 この技法は、ブランディがローマで発展させたもので、原画において用いられた技法とは異なる絵画技法を用いることによって、欠落箇所を再現させるというものです。 その後、この修復技法につづく形で、フィレンツェでは、<アストラツィオーネ(抽象)>と<セレツィオーネ(選別)>と呼ばれる二つの技法が登場しました。

イメージ提供:
マッシモ・セローニ
Nardini - Firenze
Centro Di - Firenze

 
アストラツィオーネ(抽象)で修復された作品 (チマブーエ「磔刑」)

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