NEWSWEEK SPECIAL REPORT


美術品修復
時の流れに埋もれた傑作に命を与える


地味な仕事だが、思わぬ名画を発掘することも


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PHOTOS BY GUGLIELMO DE' MICHELI- GRAZIA NERI FOR NEWSWEEK JAPAN
リッチマン(左)は入門コースを受講したのがきっかけで美術品修復のとりこに

 佐藤陽子(24)は、四人のクラスメイトとともに、作業をを始めようとしていた。みんな白衣を着て、カメラを手にしている。
  彼らの前にあるのは、十八世紀の油絵だ。傷みが激しいので、目を凝らしても、何が描いてあるのかはっきりわからない。
  スタジオの明るい照明の下で、彼らは油絵をあらゆる角度から撮影しはじめた。スーパーモデルに向かって延々とシャッター切り続けるけるカメラマンのようだ。
  だが、似ているのは仕事に取り組む姿だけ。めざすものは一八〇度異なる。ファッションカメラマンの仕事は最先端の美を表現することだが、佐藤らの課題は過去の美をよみがえらせることだ。

修復は根気のいる作業

 神奈川県出身の佐藤が在籍しているのば、フィレンツェ美術修復学院。美術品修復法の教育にかけては規模、内容ともにヨーロツパ一を誇る学校だ(学生数は約四〇〇人)。アルノ川の近くにある校舎で学生が学ぶ美術品の修復法は、根気のいる複雑な技術。年間授業料は一二〇〇万リラ(約九二万円)で、卒業まで三年かかる。二年生の佐藤は、大学時代に美術を専攻した。「[大学卒業後は、]美術館に勤めて、展覧会を企画したり、カタログを書いたりしようと思っていた」と、彼女は言う。「でも本当にやりたいのは美術品の保存に責献する仕事だということが、だんだんわかってきた」
  佐藤らは撮影した絵面の写其をもとに、傷み具合について詳しいレポートを作成。その後で、作品に使用された画材を分析し、修復法を決定する。
  フィレンツェ修復学院には、古書や木製品、陶磁器、テキスタイル、石材などの修復法を学ぶ学生もいる。三年のラテン語文献の今にも破れそうな表紙を補強する作業が行われていた。タペストリーのクラスの学生が取り組んでいるのは、一七世紀に織られた花柄の敷物を同じ糸で繕う作業だ。

     

一年は作品に触れない

フィレンツェ美術修復学院には、グフフイツクデザインなどを学ぶアート部門もある。美術品の修復法については、夏季だけの短期コースも設けられている。同校の学生の半数は留学生だか、授業で使われる言葉はイタリア語。イタリア語が不得意な人は、入学前に語学の集中講義を受けておく必要がある。

「あらゆる専門用語を覚えなくてはならない」という横山

実際、授業を理解するには、かなりの語学力がいる。「方法論についての授業が多いので、ありとあらゆる専門用語を覚えなくてはならない」と言うのは、二〇人ほどの日本人ともに美術品の修復法を学ぶ横浜市出身の横山佳奈恵(27)だ。
  同校で修復法を身につけた人の大半は、卒業後の一〜二年間、見習いとして経験を積む。技術を生かして就職したり、自分のオフイスを構えたりするのはその後だ。
  学生は美術を学んだ人ぱかりとはかぎらない。「鉛筆を握ったことのない学生もいる」と、講師のニーナ・オルソンは言う。
  たとえぱ、カナダ人のレベッカ・リッチマン(23)。彼女は一ヶ月間の入門コースを受講する前に、トロントの靴店で働いていた。すぐに美術品修復のとりこになった彼女は、昨年秋に同校に正式に入学。リッチマンいわく、「最高の選択をしたと思う」。
  とはいえい授業が楽しくてやさしいというわけではない。高校を卒業した人なら誰でも応募資格は あるが、授業は厳しく、細心の注意が要求される。授業内容が退屈なことも多い。入学してすぐにマチスの絵に触れられると思ったら大まちがいだ。「一年生のうちは、作品に手も触れられない」と、副学院長のキアラ・バルトレッティは言う。
  学生はまず、復法の基礎を学ぶ。修復の手順から保存や修復に使う化学薬品まで、覚えなけれぱいけないことは山ほどある。
  ある教室をのぞいてみると、最近の修復作業でよく利用される合成樹脂に関する講義が行われていた。別の教室では学生たちが、古いキャンバスからはぎ取った絵の具の破片を顕微鏡で観察している。

芸術ではなく科学として

 学生たちが何より知っておかなければならないのは、美術品の修復は科学ということ。修復とは、創造力を思いのままに発揮する芸術ではなく、問題を解決することにほかならない。
「修復では、何かを生み出したいという気持ちを捨てなけれぱならない」と語るのは、一年生に方法論を教えているジョーン・ライフスナイダー。「『私は教育には情熱をつぎ込むが、絵面に接するときには冷静さを失わないよう自分を戒めている』と、学生にいつも言い聞かせている」。
  修復は地味な仕事だが、脚光を浴ぴるときもある。たとえば数年前、フィレンツェのある教会にかけられていた絵画を三年生のグループが修復したときのことだ。
  その絵が、作風から一六世紀のものであることはわかっていたが、画家の名前は不明だった。修復の過程で浮き上がってきた画家のサインは「アレッサンドロ・アッローリ」。栄華を極めたメディチ家おかかえの画家だった。
  だが、ライフスナイダーが指摘するように、修復にアーティストの名前など無関係だ。「重要なのは画家の名前ではなく、修復の技術だ」と、彼女は言う。
佐藤や彼女のクラスメイトも修復の準備を進めている。一八世紀の絵画の作者名を知らない。
  もっとも、だからこそ面白いのだろう。修復しているうちに、巨匠の作品であることが判明するかもしれないのだから。

スティーブン・ハイルブロナー(フィレンツェ)

 
62  63  NEWSWEEK1997.11.26

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