次に、ティツィアーノの『聖なる愛と世俗の愛』の例を見てみましょう。この作品は、これまで頻繁に旅に出たために多くの修復が行われてきました。修復に先立つ予備分析によって、この絵を覆っていた黄色いニスは元々あったものではないことがわかったため、このニスの層は取り除かれました。しかし、さらに分析(断層撮影、ガス・クロマトグラフィー、赤外線撮影など)を行った結果、植物の描かれている部分全体を覆う褐色の樹脂層に関して、これまでの見解とは相反するデータが得られました。 この層はティツィアーノ自身によって塗られた可能性があるために、それを除去してしまうことはオリジナルの部分を取り去ることを意味していたのです。この場合、したがって、なにも手を加えないという決断が下されました。
  個人的な好き嫌いや美的な判定といったものは、なにかを除去しなければならないかどうかを決める場合には充分な判断材料ではありません。 現在のところ、修復ができることにはまだ限りがあります。おそらく、将来は、修復をさらに科学的に行えるような先進的な手法が発見されるでしょう。もちろん、このティツィアーノの絵の場合には、化学者が洗浄の確実性をさらに高めるような方策さえ発見すれば、いつでも立ち戻って、ふたたびこの問題に取り組むことが可能となるでしょう。  

 

 

 さて、つづいて、近年でも最も重要な修復プロジェクトのひとつ、すなわち、フィレンツェのカルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂にあるマゾリーノとマザッチョ作のフレスコ画の修復の例を取り上げ、そのポイントについてお話しましょう。
  この絵が描かれた時期(1423年〜1424年)から1740年にいたるまで、この礼拝堂は多くの変化をこうむりました。最後に行われた修復では、マザッチョが描いた絵画の色彩と明るさに光が当てられました。この修復で一番問題になった部分は、アダムとイヴの裸体からいちじくの葉を取り除くかどうかという点でした。それらの葉は後世になって描き加えられたものと考えられてきたからです。実際、慎重な検査を行ったところ、それらの葉は若干汚れた表面に描かれていました。したがって、1780年に行われた洗浄以降、しかし、1798年にトンマーゾ・ピローリが葉の描かれたマザッチョの作品の印刷を行なう前ということになります。 さらに、それらの葉が描き足されたものであるという事実が、マザッチョはアダムとイヴを裸の姿で描いたと記したピエトロ・ダ・コルトーナの著述によって確認されました。そのうえ、ルーヴル美術館に収蔵された、ミケランジェロ作と伝えられる、マザッチョのアダムとイヴを完璧に模写したデッサンにおいては、いちじくの葉は描かれていません。しかし、批評家たちは、ミケランジェロはたとえ葉が描かれた裸像を目にした可能性があったとしても、それでも自分の好みに従ってデッサンしたであろうと主張してきました。
  しかし、批評家たちが無視してきた明白な証拠が存在しています。それは、 1514年にフィレンツェの大聖堂のコラーレに描かれた、モンテ・ディ・ジョヴァンニ・デル・フォーラの彩色写本です。 コラーレ<D>のフォリオ<2V>には、アダムとイヴの物語の5つの場面が描かれています。 このフォリオでは、アダムとイヴの楽園追放が右手に描かれていますが、その人物像はマザッチョが描いたものと同一であり、葉は描かれていません。モンテ・ディ・ジョヴァンニは、ミケランジェロの場合とはちがって、裸体を描くうえで個人的な好悪の感情をさしはさむわけにはゆきませんでした。 同じ細密画には、中央に人物が描かれているフォリオもありますが、これはべつの資料、すなわち、デューラーの絵を参考にしているためです。 もしモンテ・ディ・ジョヴァンニがマザッチョ作のアダムとイヴの体に葉が描かれているのを目にしていたとしなたら、当然、そのままの形で描いていたでしょう。 これは、古い資料に基づきひとつのテーマを入念に研究することが、修復家にとっていかに本質的な導きとなるかを如実に示す実例のひとつです。

 

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